“わかる問題だけやってね”って言われたこと、ありませんか?
新小学5年生になった娘が、宿題の”希望ノート”を開いて、ふと聞いてきた。

(娘)「ねえママ、なんで宿題って“わかる問題”しかやっちゃダメなの?」
…
(私) 一瞬、言葉に詰まった。
(娘)「宿題でさー、わかる問題をしなきゃいけなくて…
先の問題とかに進んだらいけないんだって〜?」
希望の中身は、日記、漢字の練習、宅習のページがある。
(私)「え、そうなんだ」
(娘)「なんで?わかる問題をずっとしなきゃいけないの?」
この春、娘は学校が変わった。
前の学校は特認校で、複式学級。
同じ学年はひとりで、校長先生と授業をしていた。
理解できたらどんどん進む。
進みすぎたら、戻って振り返る。
そんな“自分のペースで進む学び”から、
今は“みんなで同じスピードで進む学び”へ。
正直、私も思った。
「なんでだろう」って。
でもその時は、
クラスにあなたは一人じゃない。
「32人いてみんなが同じように進むことは難しいのよ。だから、そこはみんなに合わせよう!そういう決まり!」
って、
きれいに片付けてしまった。
その時には、そんな上辺だけの言葉しか出てこなかった。
ちゃんと答えたいのに、言葉が見つからなかった。
でもあとから、じわじわモヤってきた。
あれって、
ちゃんと向き合うべき問いだったんじゃないかって。
先生に言われた通りにすることが大事なのか。
それとも
自分で考えて“もっと学びたい”と思った気持ちをどうしたらいいのか。その問いを考えることが大事なのか。
学校には、学校の理由があると思う。
みんなで進むこと。
置いていかないこと。
差が広がりすぎないこと。
それも、すごく大切。
でも同時に、
「もっと知りたい」って思った気持ちまで
止めなくていいんじゃないか、とも思う。
だから私は、後から娘にこう言った。
さっきの話なんだけど…
学校の先生にはそんなルールがあるけど、あなたが思ったことは学びたいってことだから、
そこはそれでいいとママは思うよ。
だから、予習していったら?
復習したくないけど、先生に怒られたくないから
もう、できるやつしていく…
学校のやり方は、ずっと同じですぐには変わらない。
でも、昔と今では変えたほうがいいことの方が多いのかもしれないとも思っている。
だから、
“疑問を持つこと”は止めなくていいし、
“考えること”はもっと自由でいい。
あの日の娘のひとことが、
私の中のずっとあった「学校の当たり前」を、新しい見方、考え方へ心を揺らした。
まだ答えは出ていないけど、考え続けていたい。
同じように感じたこと、皆さんはありますか?
こんな時お子さんにはどう答えていますか?
よかったら教えてください🩷


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